アスコルビン酸の分子軌道
アスコルビン酸は,抗酸化活性を有するので,食品添加物として利用されている.
アスコルビン酸の性質を理解する目的で,密度汎関数法を使って,アスコルビン酸,アスコルビン酸アニオン,アスコルビン酸ラジカル,アスコルビン酸アニオンラジカル,およびデヒドロアスコルビン酸の分子軌道を計算した.Lowdin 電荷や,ラジカル型である場合のスピン密度から,負電荷の位置やラジカルの位置を考察した.
ページ前半では,練習のため,O3' が解離すると仮定して計算している.後半では O2' を解離させるなど,他の反応経路についても計算している.
おおよその酸化経路は計算できたが,細かい部分は未解決である.
ユビキノン類縁化合物でも同様の計算をおこなってみた(ユビキノン類縁化合物の分子軌道).
目次(ページ内リンク)
アスコルビン酸の一般的な性質
酸化経路を仮定して分子軌道を計算してみる
その他の酸化経路を含めて考える
アスコルビン酸の一般的な性質
アスコルビン酸は酸としても還元剤としても作用する生体成分である.すなわち,水素原子を 2 個(電子 2 個と H+ 2 個)供出してデヒドロアスコルビン酸に変化する.
生体内では,アスコルビン酸はコラーゲンの生合成やノルアドレナリンの生合成などに利用されている.生成するデヒドロアスコルビン酸はグルタチオンを利用してアスコルビン酸に戻される.
ヒトでは生合成できない.生理活性のある光学異性体をビタミン C と称する.ビタミン C が不足するとコラーゲンが生合成できないので壊血病になる.
抗酸化剤として見ると,アスコルビン酸は電子を 2 個供出して自身は非ラジカル化する.
例えば,トコフェロールラジカル 2 分子をトコフェロールに戻して,自身はデヒドロアスコルビン酸となる.トコフェロールラジカルは何らかのラジカルを消去して生成するのであるから,結局のところ,ラジカルが消去されるわけである.
この例では,アスコルビン酸は「何らかのラジカル」を直接消去するのではなく,トコフェロールラジカルを消去している.この性質を捉えて,アスコルビン酸を相乗効果剤(シネルジスト)と表現する.
検索したところ,厚生労働省が公開している「L-アスコルビン酸カルシウムの食品添加物の指定に関する添加物部会報告書」が目についた.日本では,L-アスコルビン酸,L-アスコルビン酸ナトリウム,L-アスコルビン酸2-グルコシド,および 2 種類のL-アスコルビン酸エステルが食品添加物として指定され,食品の酸化防止剤や栄養強化剤等として広く使用されているとのことである.
一般食品への利用について一覧表にまとめられており,対象食品を並べると,食肉製品,魚肉練り製品,たらこ等,他の魚肉加工品,果実加工品,野菜加工品,飲料類である.使用目的は主に,退色防止や褐変防止である.
酸化経路を仮定して分子軌道を計算してみる
このセクションでは練習を兼ねて,O3' が解離すると仮定してアスコルビン酸の酸化物の分子軌道を計算してみた.
酸化経路の仮定
画像は,このセクションで仮定したアスコルビン酸の酸化経路である.EasyChem と Gimp で作成した.
プロトン→電子→プロトン→電子の順に 1 個ずつ供出するとしている.
このページで使っている名前は下のとおり.
- (1) アスコルビン酸:原子の位置を示す添字を記しておいた
- (2) アスコルビン酸アニオン
- (3) アスコルビン酸ラジカル
- (4) アスコルビン酸アニオンラジカル
- (5) デヒドロアスコルビン酸
ソフトウェア
このページで使用したソフトウェアを記す.
- 入力構造と距離の測定:本サイトで開発している Builcule を使って作成した
- 計算:PSI4 を利用した
- 軌道やスピン密度:PSI4 で Molden ファイルを出力し,これを Gabedit で表示した
- Lowdin 電荷:本サイトで開発している Detrial を使って表示した
アスコルビン酸
計算条件
- 基底関数系:6-31G*
- 汎関数:b3lyp
- 電荷:0
- スピン多重度:1
- スピン特殊化:非設定(デフォルトの restricted Kohn–Sham)
HOMO
画像は,アスコルビン酸の HOMO である.
PSI4 の計算で出力された Molden 形式のファイルを Gabedit で表示した.等高線の水準など表示に関わる設定は,全てデフォルトである
主に,C2-C3 上,それから,O2' および O3' 上に HOMO が分布している.C2 や C3 の方が O2' や O3' より密度が高いようである.
アスコルビン酸アニオン
計算条件
- 基底関数系:6-31+G*
- 汎関数:b3lyp
- 電荷:-1
- スピン多重度:1
- スピン特殊化:非設定(デフォルトの restricted Kohn–Sham)
HOMO
O3'-H の解離に伴い,HOMO の電子は,C3 上から O3'- 上に移動し,その結果 C3 上の軌道が縮小したと解釈できそうである.
あと,アスコルビン酸と比べて,C2-C3 上の軌道が C1 方向に広がっているように見える.
Lowdin 電荷
画像は,PSI4 の計算結果ファイル output.dat から Lowdin 電荷が記述された部分を切り出し,自作ソフトで表示して作成した.
赤い球が負電荷を青い球が正電荷を,球の経が電荷の大きさを表している.
入力構造どおり,O3' 上に負電荷が存在する(O3' の負電荷を相殺する正電荷がない).
アスコルビン酸ラジカル
計算条件
- 基底関数系:6-31+G*
- 汎関数:b3lyp
- 電荷:0
- スピン多重度:2
- スピン特殊化:unrestricted Kohn–Sham
SOMO
アスコルビン酸アニオンとあまり変わらない結果になった.
あえて違いを記すと,アスコルビン酸アニオンと比べて,C1 方向への広がりが小さくなったように見える.
スピン密度
スピンが表示されたのは,C2,O2',O3',および O1' 上である.
大小関係は,C2 > O3' > O2' >> O1'.
アスコルビン酸ラジカルでは,ラジカルは主に C2,O3',および O2' 上に存在しているようである.
アスコルビン酸アニオンラジカル
計算条件
- 基底関数系:6-31+G*
- 汎関数:b3lyp
- 電荷:-1
- スピン多重度:2
- スピン特殊化:unrestricted Kohn–Sham
SOMO
アスコルビン酸ラジカルから O2' が解離した構造である.
解離の結果,O2' 上の SOMO 密度が大きくなり,その分 C1 方向への広がりが小さくなったと解釈する.
スピン密度
アスコルビン酸ラジカルの場合と異なり,スピンは炭素上には表示されなかった.
スピンが表示されたのは解離した O2' と O3' 上である(大小関係は,O2' > O3').
アスコルビン酸アニオンラジカルでは,ラジカルは主に O2' 上に存在しているようである.
Lowdin 電荷
O2' と O3' の大きさはほぼ同じに見える.
ということは,負電荷はこれらの原子上にほぼ等しく分配されていることになる.
また,O1' も負電荷を帯びているように見える.
デヒドロアスコルビン酸
計算条件
- 基底関数系:6-31G*
- 汎関数:b3lyp
- 電荷:0
- スピン多重度:1
- スピン特殊化:非設定(デフォルトの restricted Kohn–Sham)
HOMO
アスコルビン酸アニオンラジカルと比べて,軌道の形が大きく変化した.
C2 から C3 上に分布していた軌道が消失し,C1-C2,C2-C3,および C3-C4 の結合上に非局在化して再配分されたように見える.
その他の酸化経路を含めて考える
ここでの課題
上記セクションでは,構造式で示した酸化経路が正しいとして,アスコルビン酸の酸化生成物の分子軌道を計算した.
「紙の上」なら他の経路を描くことができる.
図は,最初に示した仮想的な反応経路の前半部分について,他の経路を考えてみたものである.
(1)〜(3) は,最初に想定した経路の分子である.(a)〜(d) はそれ以外の分子である.
- (a):ラジカルカチオン.アスコルビン酸から電子が 1 個奪われるとする
- (b):O2' が解離したアスコルビン酸アニオン.構造式では,O3' が解離する場合と異なり,共鳴構造が描けないのであるが
- (c):アスコルビン酸ラジカル.O2' 上にラジカルがある
- (d):2 価のアニオン.プロトンが 2 個奪われるとする
これらを比較検討し,計算結果から最もありそうな経路を選択したい.
可能なら仮想的な反応経路の前半部分についても検討したい.つまり上記セクションでは,
- アスコルビン酸アニオン (2) では O3' 上に負電荷があるように描いたがそうなのか?
- アスコルビン酸ラジカル (3) では O3' 上にラジカルがあるように描いたがそうなのか?
- アスコルビン酸アニオンラジカル (4) は O3' 上にラジカルが,O2' 上に負電荷があるように描いたがそうなのか?
このページでの計算では,入力構造を揃えたり基底関数セットを統一したりしているわけではない.また,振動解析もおこなっていない.
それを承知した上で,今後の参考とするために,計算結果をいくつかの図表にまとめてみる.
原子間距離
各構造について,最適化後の原子間距離を測定した.結果を表に示す.距離の単位は Å である.
| - | 入力構造 | C2-C3 距離 | C2-O2' 距離 | C3-O3' 距離 | O2'-H 距離 | O3'-H 距離 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| (1) | アスコルビン酸 | 1.34363 | 1.35224 | 1.36315 | 0.971846 | 0.970548 |
| (2) | アスコルビン酸アニオン:O3' が解離 | 1.38841 | 1.3863 | 1.2645 | 0.97514 | - |
| (3) | アスコルビン酸ラジカル:O3' にラジカル | 1.4293 | 1.32059 | 1.23738 | 0.980889 | - |
| (4) | アスコルビン酸アニオンラジカル | 1.4476 | 1.26091 | 1.25008 | - | - |
| (5) | デヒドロアスコルビン酸 | 1.53375 | 1.20322 | 1.20649 | - | - |
| (a) | アスコルビン酸カチオンラジカル | 1.40691 | 1.29546 | 1.30339 | 0.977512 | 0.975725 |
| (b) | アスコルビン酸アニオン:O2' が解離 | 1.37443 | 1.27719 | 1.38259 | - | 0.979604 |
| (c) | アスコルビン酸ラジカル:O2' にラジカル | 1.41184 | 1.24516 | 1.32683 | - | 0.982341 |
| (d) | アスコルビン酸アニオン:O2' と O3' が解離 | 1.42746 | 1.3011 | 1.28321 | - | - |
(1)→(5) と酸化が進むに従い,概ね,
- C2=C3 結合は結合距離が大きくなった.すなわち,二重結合性が減少した
- C2-O2' および C3-O3' は結合距離が小さくなった.すなわち二重結合性が増加した
ただし,2 種類のアスコルビン酸アニオンの組 (2),(b) と 2 種類のアスコルビン酸アニオンの組 (2),(b) とを比較すると,C2-O2' と C3-O3' の大小関係が逆転している.
エネルギー差
このページ前半のセクションでは,分子ごとに使用している基底関数系が異なっている.
エネルギーを比較できるかどうか解らないので,基底関数系を 6-31+G**に揃えて計算してみた.
結果を総エネルギーに関してソートして表にまとめる.さらに,総エネルギーの棒グラフを描いた.
| - | 入力構造 | 総エネルギー | 総エネルギーの差 | HOMO/SOMO | HOMO/SOMO + 1 | 軌道準位の差 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| (1) | アスコルビン酸 | -684.802220281409 | - | -0.253775 | -0.048618 | 0.205157 |
| (a) | アスコルビン酸カチオンラジカル | -684.499607216099 | - | -0.433649 | -0.248921 | 0.184728 |
| (2) | アスコルビン酸アニオン:O3' が解離 | -684.29254249548 | (2)-(1) = 0.509677785928943 | -0.050789 | 0.096842 | 0.147631 |
| (b) | アスコルビン酸アニオン:O2' が解離 | -684.272329458983 | (b)-(1) = 0.529890822425614 | -0.033852 | 0.089931 | 0.123783 |
| (c) | アスコルビン酸ラジカル:O2' にラジカル | -684.176672351477 | (c)-(b) = 0.0956571075062129 | -0.254333 | -0.0631 | 0.191233 |
| (3) | アスコルビン酸ラジカル:O3' にラジカル | -684.184038863521 | (3)-(2) = 0.108503631959024 | -0.262778 | -0.052732 | 0.210046 |
| (4) | アスコルビン酸アニオンラジカル | -683.677474745177 | - | -0.043023 | 0.088458 | 0.131481 |
| (d) | アスコルビン酸アニオン:O2' と O3' が解離 | -683.577394869748 | - | 0.158821 | 0.198953 | 0.040132 |
| (5) | デヒドロアスコルビン酸 | -683.57673572879 | - | -0.270368 | -0.153085 | 0.117283 |
酸化の進行は,概ね表の降順(棒グラフの左→右)の方向で進行すると考えてよさそうである.
簡易的に,電子の数の順番になったと言えそうである.
ただし,どの経路を通るかは,理解できない疑問点が残った.酸化経路の詳細は,今後の課題とする.
- アスコルビン酸→アスコルビン酸カチオンラジカル→アスコルビン酸ラジカル の経路は否定できなかった
- アスコルビン酸アニオンについては,3' 位が解離する方が 2' 位が解離するよりエネルギー的に安定であった(3 と異なる)
- アスコルビン酸ラジカルについては,2' 位が解離する方が 3' 位が解離するよりエネルギー的に安定であった(2 と異なる)
- アスコルビン酸ラジカルからアスコルビン酸アニオンラジカルに酸化されるには,多めのエネルギーが必要以かもしれない
アスコルビン酸カチオンラジカル
アスコルビン酸カチオンラジカルの SOMO の形状とスピン密度の分布が一致せず,理解しにくい結果となったので記しておく.
試しに NWChem を使い,同じ入力構造と条件で計算してみたが途中でエラーとなった.
この経路は避けて通るのがよさそうである.
計算条件
- 基底関数系:6-31+G**
- 汎関数:b3lyp
- 電荷:+1
- スピン多重度:2
- スピン特殊化:unrestricted Kohn–Sham
SOMO
SOMO は,O6' 位付近に分布している.後述するスピン密度の分布とは異なっている.
なぜこの位置に分布しているのか理解できない(ありえない構造であることを示しているのかもしれない).
スピン密度
スピンは,C2,C3,O2',および O3' に存在しているようである.SOMO の形とは一致しない.
Lowdin 電荷
O2' や O3' に結合している水素が正電荷を帯びているように見える.